今年の中秋の名月は9月13日。月見団子、すすきと一緒に里芋を供えることから、「芋名月」とも呼ばれている。
昔の人はお月見で、夜空の名月を愛でながら、秋の収穫に感謝をした。この時季、収穫されたのが里芋。ゆえに月見団子の形は現代でも、特に京阪では里芋をかたどった楕円形をしている。
江戸時代には月待ちにかこつけた宴会も
日本には古くからいろいろな民間信仰があるが、月待ち講もその一つ。江戸時代の中期から後期にかけて、さかんに行われるようになったという月待ちは、十三夜、十五夜、二十三夜、二十六夜など特定の月齢の日に、仲間が集まって飲食を共にしながら、月の出を待ち、月が出るとありがたく拝んだり、悪霊を祓ったりする行事だったそうだが、昔の人の月の満ち欠けへの畏れから生まれたとか。
「講」は、宗教行事を行う集まりのことだが、行事や会合のことも指すので、早い話が「月待ち信仰仲間の集い」である。
江戸時代も後期になると、夜の娯楽など少なかった当時、月待ちを理由に集まり、酒を酌み交わして料理をつまむという宴会のようになっていったそうだから、江戸時代の人々も我々と同じだなあと笑ってしまう。
陰暦七月二十六日(現在では約1カ月後の八月末)の夕べ、江戸は高輪の浜へ二十六夜の月待ちに集まってきた人々。この日には、月の出の光が三つに分かれて輝くといわれ、阿弥陀さま、観音さま、勢至(せいし)さまが現れるという信仰があったそうな。はじめのうちこそ、そのご利益を求めて祈っていたが、やがてその集まりはお祭りのような賑わいとなっていったという。
その風景を描いた歌川広重の『東都名所 高輪廿六夜待遊興之図』(天保8年)は有名で、月の出を待ち集まった群衆を目当てに、天ぷら、すし、二八そば、だんご、しるこほか食べもの屋台がどっと出て、祭りの賑わいをみせている愉快な浮世絵だ。
お月見の段取り
さてお月見には まず月見酒の用意から。これには「月」に関連する銘柄やラベルの日本酒を選ぶと月見気分をぐっと上げてくれる。月見酒をぐい吞みに注ぎ、空に浮かぶ月を愛でつつ一献。
ここでお月見の料理として外せない、収穫に感謝しての里芋の「衣かつぎ」をつまむ。里芋好きならもう一品、里芋の煮っころがしなどもおすすめ。あとは、月に見立てた「見立て料理」を楽しんではいかがだろう。上品な出汁で煮た黄色の湯葉まんじゅう、切り口から満月に見立てた玉子が現れる練り物、丸く焼いた玉子焼き…などなど。
もう一つのお月見でシメる
シメには、もう一つのお月見とも呼んでいる「月見うどん」で決まり。風情のある墨色で土物の丼にうどん、上には群雲に仕立てた海苔をのせ、満月に見立てた生卵をそっと入れ、器の中の月をしばし眺めてから、つるつるといただく。
この「月見うどん」だが、いつ頃からあったのかは不明。日本では古くから卵は禁食で、安土桃山時代にポルトガル人から伝わった南蛮菓子の出現まで、卵を使った食べものはどうやらなかったよう。
江戸時代になると、町には茹で卵売りが現れ、『卵百珍』(1785年)なる料理本も出版され、卵料理は一気に花開く。が、当時のそば屋の品書きには、「玉子とじ」(ちなみに三十二文で一番高価)はあっても、生卵をのせた「月見うどん」あるいは「月見そば」は見当たらない。
いつ頃、誰が、風流で美味な「月見うどん」を作ったのか?―毎年 お月見時に思うフシギである。
歳時記×食文化研究所
北野智子