6月21日から7月6日は二十四節気の「夏至」。一年で最も昼間が長く、夜が短くなる日で、太陽の位置が最も高くなる日。とはいえ、梅雨の最中のこと、実際には太陽の姿を見ることもない日も多く、日の長さを実感することは少ないだろう。これから夏の盛りへと日に日に暑さが増していくので、マスクと共にある我が身を気遣いつつ、夏至を迎えたいものだ。
千年以上も前の清少納言からのメッセージに励まされ
夏の夜が短くなることを、秋の「夜長」に対して、「短夜(みじかよ)」というが、なかなか風流な呼び名だと思う。この時季の風情のよさを語る名文といえば、「夏は、夜。月の頃はさらなり…」で始まる清少納言の『枕草子』の一節だろう。「夏は夜。月のある頃はもちろん、月のない闇夜でもやはり、蛍がたくさん乱れ飛んでいる風情。またほんの一つか二つ、ほのかに光って飛んでゆくのも、趣がある。雨など降るのも趣がある。(訳文)」と語られていて、清少納言ファンの私、なるほど、いかにも今の時節を過ごすためのアドバイス・名文だなと感心する。
夏は夜、酒肴があればさらなり
「夏の短夜」を美味しく愉しむには、そこは一つ趣向を凝らしたいものだ。思い付いたのが、風流な名文に合う京都の川床料理。風情ある夏の風物詩の納涼床は、現在の禍のため自粛下でのスタートとなり、床席を出している店は数軒で、人出も少ないというのは悲しいことだ。県外への移動がOKとなった今、様子を見つつ、充分に配慮をして行ってみたいと思うが、今はその日を楽しみに、川床に思いを馳せた酒と肴をお家床で味わってみたい。
川床料理からおばんざいまで 奥深い京の味
鴨川の納涼床の歴史は古く、慶長の末(1614年)頃から、遊女歌舞伎などの見世物や物売りで賑わう四条河原に、豪商が見物席を設けたり、茶店ができたりしたのが、納涼床の始まりとされている。江戸時代の元禄年間(1688~1704)ともなると納涼床はさらに賑わいをみせ、付近には花街も形成されていったという。
明治時代には納涼床の期間が7~8月の2ヵ月間となり、平成に入ると5月~9月となり、同19年には「鴨川納涼床」が地域ブランドとして商標登録されたという。
私も鴨川の納涼床にはよく行ったが、床にひしめく大勢の客と芸妓さんなどが差しつ差されつ、ワイワイと実に賑やかで、それはそれで楽しいが、風流さにはいまひとつなものだ。
そこへいくと、京の避暑地ともいわれる貴船の納涼床は、また違った趣きである。こちらの納涼床の始まりは大正時代で、客が貴船川に足をつけて涼めるようにと、茶屋が川の上に床几を出したことに由来するのだとか。なるほど、貴船の床は川の真上に桟敷を出しているところが多く、数十センチ下には涼やかな水流がある。
川音だけが聞こえる静謐なお座敷で、その風情と冷酒を愉しんでいると、またぞろ『剣客商売』の秋山小兵衛の世界とだぶってくるわけである。(笑)
白身魚のお造りや鱧ちり、ずいきの酢の物ほか夏の京野菜の料理などご馳走づくし膳で、川に浸けた竹籠に入った鰻を所望すると、熱々の大きな白焼き鰻が出てきて…と、今更ながら、これらの川床料理の美味しさは、あの涼やかな川の上という舞台があってこそ成立・完成されることに思いが至る。
鯖のきずし
ということで、「夏は夜、酒肴があればさらなり」は、まだ明るいうちから、好きなものを大いに飲んで食べるべし。京の趣向を残したいので、先斗町のおばんざいやで一番に注文する大好物の鯖のきずし、茄子の炊いたん、万願寺唐辛子とじゃこの炒め炊きなど、京のおばんざい一品をちゃちゃっと作って、キンキンに冷やした伏見酒をグビリ、グビリと、まいりましょうかえ。
歳時記×食文化研究所
北野智子