12月7日から21日までは二十四節気の「大雪」で、寒さが増して、本格的に雪が降り始める頃。昔から大雪には京都のお寺などでは、「厄除け」「諸病封じ」を願って、大鍋で炊き込まれた熱々の大根が参拝客に振る舞われる。これは、「大根焚き(だいこだき)」と呼ばれる行事で、この時節の風物詩だ。
我が家でも大雪の時季には旬の大根をほこほこと煮込んで、大根焚き厄除け願いを終えたら、本格的な鍋三昧シーズンに突入するのが恒例となっている。各ご家庭でも鍋を楽しまれていることであろう。
鍋初めの鍋は「ぼたん鍋」だった
鍋には酒が付きもので、鍋と酒が揃えば、楽しい団欒の始まりだ。
昔から日本には、囲炉裏を囲んで食事をするスタイルがあり、山海の幸に恵まれ、醤油や味噌など日本独自の発酵調味料や柚子に山椒など薬味も豊富であったことから、各地に様々な種類の鍋料理が生まれ、伝承されてきた。鍋ものは日本人が育んできた、まさに温かい食文化なのだろう。
「鍋初めの鍋」ともいうべき、シーズン最初の鍋は大切だと思っている。
なぜならば、我が家では鍋初めに作った鍋は、冬の間中、登場頻度が高くなると言う傾向があるからだ。ゆえに、最初の鍋を何でいくかということに悩むという、食いしん坊ならではのひと時が楽しみだったりする。
そんな悩みの折、猟師見習い中の私、この週末に兵庫県養父市の山中で行われた銃猟実習に行ったところ、その日の猟果は丸々と太った巨大な猪4頭、鹿3頭であった。 このような大猟は近来珍しいそうで、解体した猪の、4cmはあろうかというぶ厚い脂身をまとったロース、バラ、モモ、さらに珍しい舌(イノタン)、頬肉までも頂戴してきた。
これはもう「ぼたん鍋」しかないではないか! と小躍りして、「鍋初めに作った鍋は、冬の間中、登場頻度が高くなる」という戒め(?)をすっかり忘れ、いそいそと支度に取りかかったのであった。
まだ冬は始まったばかり。残る2ヵ月半、滞りなく猪が入手できますようにと祈るしかない。(笑)
今も昔も、日本人の湯豆腐好き
要するに、シーズン始めに作る鍋というのは、自分の大好物が主役の鍋なのだ。
鯨が好きな人は「ハリハリ鍋」、ふぐが好きな人は「てっちり」、鴨が好きな人は「鴨鍋」という具合に。渋めの人になると、「湯豆腐」あたりだろうか。
実は私は、この湯豆腐という鍋を選ぶ人を尊敬しているのだ。いや、湯豆腐は確かに美味しいし、私も大好きである。が、豆腐という食材は鍋におけるオールラウンダーである。たいがいの鍋につき合いの良い豆腐は顔を出している。それなのに、豆腐を主役とし、他の具材は極力排して豆腐のみと向き合う、いわば「俳句のような鍋」である。私なら、ついつい茸類や生湯葉、ひろうす、うす揚げ、生麩など他の具材(一応 精進ものにとどめはするが)も入れたくなってしまう。いつの日か、真っ白な豆腐だけが鍋の中をくらんくらんと静かに舞う“おとな鍋”で、しっぽりと熱燗を傾けてみたいものだ。
江戸時代に出版された料理本のベストセラー『豆腐百珍』(天明2/1782年)は、百種もの創作豆腐料理が記されていて、それぞれ「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」という六等(しな)に分けられている。現代の「湯豆腐」は「湯やっこ」に相当するとされ、なんとこの料理は「絶品」として紹介されているのだ。
今も昔も、日本人の湯豆腐好きは変わらないのである。
歳時記×食文化研究所
北野智子