醤油の濃口と淡口の意味
日本の料理や食べものには、「濃と淡」、言い換えれば「表と裏」、はたまた別の視野から見れば、「重さと軽さ」といったような、妙味ある対比がしばしば見うけられる。
例えば、醬油には濃口(こいくち)と淡口(うすくち)があるし、味噌には赤だしのような濃い味の赤系ものと、西京(さいきょう)のように淡い味の白系ものがある。日本人のこのような「重さと軽さ」の食文化の背景には、粋(いき)な感覚が色濃く感じられるのである。そこには「表と裏」とか「吸気と呼気」のような一体性のものや、「本音と建前」といった洒落た感覚さえも、潜んでいる気がしてならない。
味噌汁と吸い物の差
例えば、豆腐と油揚(あぶらあ)げ。豆腐は色が「淡」であり、油揚げは「濃」。豆腐には味の「軽さ」があり、反対に油揚げは「重さ」がある。豆腐はさっぱりとした明るさがある「表」通りだが、油揚げは人情味あふれる「裏」通り。豆腐が「本音」であれば、油揚げは「建前」なのである。こうした見方をすれば、味噌汁と吸い物の対比にも面白さがある。一方は濁って、不透明、具はゴロゴロ入っているが、他方は澄み切って透明。味もあっさりしている。肝心な味の付け方も、味噌汁が「重み」のある味噌系なら、吸い物は「軽く」塩味でかわす。
魚のすり身を調味して、これを蒸したり焼いたり、油で揚げたりすると、蒲鉾(かまぼこ)や薩摩揚(さつまあ)げとなる。特有の弾力と歯ごたえ、そして、うま味の強さが特徴だが、これを「重さ」とすれば、半片(はんぺん)は、その重さに対抗して意識的につくった「軽さ」である。魚のすり身だけでは、味が濃いとし、これに淡泊なヤマノイモの粉(こな)や、片栗粉(かたくりこ)(ジャガイモデンプン)を加えて軽さを増す。それらの粉はまた、気泡性を保つ役割をするから、半片は多孔質状に固まり、歯に軟らかく当たる。(続く)