いつ地震が来てもおかしくない日本列島。万一に備え役立つ非常食を確保しておきたいものです。
これからお話しするのは、日本人にとって理想的な非常食の数々。水とこれら非常食があれば、他の食品なしに何日も自分や家族が、生き延びることができるだけでなく、体と心の健康を保つこともできます。日本人が長い歴史の中で育んできたこれら保存食を「賢者の非常食」と名付け、順にご紹介します。
歴史に深く根差した梅干し
梅は中国文化とともに、薬木として奈良時代に日本に伝わりました。平安時代に丹羽康頼(たんばのやすより)が著した『医心方(いしんぽう)』という書物に梅干の薬効が説かれていますから、日本人は大変古くから梅干しを重宝してきたことがよくわかります。
梅干しは、梅の実を塩漬けにして作ります。すると食塩の作用で浸透圧が高くなり、細胞 の原形質分離が起こって梅の実から浸出液が出てきます。これが梅酢です。平安時代の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には「塩梅」という言葉が記録されていますが、これがやがて「あんばい」と変化して、味付けなどの頃合いを示す言葉となりました。
梅干の製法は、以下の通りです。梅雨の頃に塩漬けした梅に途中で赤紫蘇(あかじそ)の葉を加えて色を付け、夏の盛りのよく晴れた日に果実を取り出して日干しをします。再び容器に戻してしばらく置き、果肉が軟らかくなったら梅酢と分け、容器内に密封貯蔵するのです。
恐ろしい力を持つ「日の丸弁当」
こうして作られた梅干は、昔であればお弁当の唯一のおかずでした。日本の国旗と配色 が似ているので「日の丸弁当」と呼ばれたように、アルマイトの弁当箱にご飯を敷きつめ、真ん中に梅干を一個埋め込むように置きました。質素の極限ともいえる「日の丸弁当」は、戦中戦後の食糧難の時代から高度成長期が始まるまで、勤労者や学生を支えたお昼ご飯だったのです。
梅干しの強い酸味(約四%)は、クエン酸を中心とした有機酸で、整腸作用や食欲増進、殺菌作用があります。「日の丸弁当」の真ん中に居座る梅干は、ご飯の腐敗を防いでくれましたが、長く使用するとアルマイトの弁当箱の真ん中を溶かしたほどの底力を持っています。今でも六〇歳以上の日本人は、「日の丸弁当」の記憶があることでしょう。(続く)
小泉武夫