戦後日本の食肉事情
どのくらい日本人が鯨肉に救われたかというと、戦後の昭和22~3年頃の日本では、国民1人当たりの食肉供給量の半分近くを鯨肉が占めていたことからもわかります。捕獲量がピークを迎えた昭和22~37年には、牛や豚や鶏などの食肉に限定すれば、動物性タンパク質の70%近くを鯨肉に依存していたほどです。
こうした大量の鯨肉は、南氷洋から捕鯨船内で冷凍されて運ばれました。都合のいいことに、鯨肉はカチカチに凍らせて冷凍庫で保管できるので、販売される時点で切り分けて売れば、解凍前に自宅に持ち帰ることができました。日本の家庭の冷蔵庫は、鯨肉を保存するために普及したといっても過言ではないくらいです。
鯨のスタミナ剤であるバレニン
鯨肉の特長は、牛肉よりもタンパク質が豊富で、コレステロールが少ないところにあります。うま味成分も多く、食べると活力が出るので、戦後の復興期から高度経済成長期までの日本人のパワーを鯨肉が支えてくれました。
鯨肉で見逃せないのは、「バレニン」という特殊なアミノ酸を含んでいることです。これは、鯨がなぜ絶食状態で長い距離を泳ぎ続けられるのかを研究しているうちに発見されました。赤道付近で繁殖期を過ごす鯨は、子どもに母乳を与えながら餌場である南氷洋まで休むことなく泳ぎ続けます。実に5000キロから6000キロもの海を、ほとんど何も食べずに泳ぎ続けるのです。そのパワーの源となる成分がバレニンでした。
バレニンを多く含む鯨肉を食べると、筋肉の持久力が高まり、疲労の予防に効果があるのです。そのため現在、バレニンはスタミナ剤として注目を集め、錠剤が作られています。2011年の箱根駅伝では、バレニンの錠剤を選手に飲ませた大学が上位を独占して話題を集めました。そんなことを知らなくても戦後復興期の日本人は、バレニンを多く含む鯨肉を食べて、国の活力を生み出していたのです。
小泉武夫