福島原発事故と過去の教訓(1)【小泉武夫・賢者の非常食(6)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2018.03.04

原発事故の不安は残る

 2011年3月11日の東日本大震災は、甚大(じんだい)な被害を与えました。お亡くなりになられた多くの方々のご冥福(めいふく)をお祈りするとともに、ご家族を亡くされた方々、住まいを失って避難所や仮設住宅で暮らしていらっしゃる方々に心からお見舞い申し上げます。福島県いわき市の隣町で造り酒屋を営んでいる私の実家も、地震で土蔵の壁が崩れるなどの被害に遭(あ)いました。

 今回の大地震の影響は、とても長引くことでしょう。それは、地震や津波と関連して福島第一原発の爆発事故があったからです。とくに、放射性物質の空中飛散や海洋汚染によって食の安全が脅(おびや)かされた問題は、数年間あるいは数十年間で収まらないほど日本中に深刻な影響を及ぼしています。福島原発から飛んだ放射性物質が静岡県のお茶の葉から出た問題や、野外に置かれていた藁(わら)を飼料として飼育された和牛が多くの県に出荷された問題など、日々のニュースで不安を感じている人は少なくないはずです。

 そこで、体内に放射性物質が入った場合に私たちは何を食べればいいのか、対処方法と非常食について考えてみましょう。実は、放射能を無力化させる食べものの研究は過去何人もの学者によって熱心に行われていて、かなりの成果も上がっているのです。その理由は、日本が1945年に世界で初めて被爆した国であるからにほかなりません。

 

放射性物質を味噌で追い出す

 世界で初めて被爆したのは広島、次は長崎です。昭和20年、日本に原爆が落とされたときに多くの被爆者が出ました。そのときから広島大学や長崎大学、また多くの民間医療研究機関による放射能汚染被爆患者への治療が始まったわけですが、何しろ世界初の事態なので、治療法がなかったのです。いろいろなことが試され、データが蓄積されていきました。当時の結果をまとめてみますと、朝昼晩と味噌汁を飲んでいた患者の体内から放射性元素が排泄(はいせつ)されていたことがわかります。

 このことは『AERA』(朝日新聞出版)2011年6月13日号で紹介されています。長崎の浦上第一病院で被爆した故、秋月辰一郎(あきづきたついちろう)医師の著書『体質と食物』(クリエ・出版部)にはこう書いてあるのです。

 「その時私といっしょに、患者の救助、付近の人々の治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、“わかめの味噌汁”であったと私は確信している」

 原爆が投下された直後から被爆者の治療に当たった秋月医師のチームは、病院内に備蓄されていた味噌を使って、ワカメの味噌汁を作って飲み、近くの畑で収穫(しゅうかく)されたカボチャを食べ、ナスの味噌漬けを食べました。秋月医師のチームと同じものを食べ続けた患者さんや職員は、原爆症を発症していないというのです。秋月医師も、同じ病院(爆心地からわずか1.4キロです)で当時看護婦さんだった奥さんも、原爆症を発症しないまま長生きしました。秋月医師たちの事例を研究している広島大学原爆放射線医科学研究所の渡邊敦光(わたなべひろみつ)教授(現名誉教授)は『AERA』で「空中の放射線量も高く、当然、カボチャやナスのとれた土壌も汚染されている。生き延びた秘訣(ひけつ)は味噌にあったんです」と語っています。

小泉武夫

 

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この記事を書いた人

編集部
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