にぎり飯は、米を主食とする日本人にとって、常に郷愁を抱かせてくれる食べものである。ひと昔前、熱い炊きたての飯をフーフーいいながら手でまるめていくエプロン姿の母親、それを腹をすかせて今か今かと待つ子供たち。この白くずっしりして、丸く温かく、そして軟らかいにぎり飯には、母親の素朴な愛情が握り込まれているようで、うれしいものであった。だから、この白い飯のかたまりに、塩や味噌で味付けするだけで、もう十分に美味なのであった。
昔はこのにぎり飯を「屯食(とんじき)」ともいった。江戸時代の『貞丈雑記(ていじょうざっき)』には「屯の字をアツムルと訓(よ)み、強飯を握りかためて鳥の子の如く丸くしたるをいう也。今も公家方にてはにぎり飯をトンジキという由、京都の人物語せり」とある。飯を握るから「にぎり飯」、結ぶので「むすび」といったが、新井白石の『東雅(とうが)』には、古事記の「産巣日(むすび)」(万物を生み、成長させる神秘で霊妙な力を持ったもの)についての条(くだり)もある。
にぎり飯は、手のひらに塩水をつけて握るのが普通で、昔から京阪では俵型につくって黒胡麻をまぶし、江戸では球形ないし三角形につくる。この素朴で簡易な飯のかたまりには、昔から、日本人を大いに重宝させてきた知恵がある。
その第一は、主食の飯をただ塩や味噌で握るだけで、野良仕事や旅の携帯食としてだけでなく、火事や水害などのさまざまな災害時の非常用炊き出しとして、抜群の即席性をもった主食としたこと。
第二は、この飯のかたまりを即席食だけにとどめずに、飯の中に梅干、削り節、タラコ、鮭、塩辛、漬け物、佃煮などを詰めたり、表面をのりやトロロ昆布で覆ったり、醤油や味噌を周りにつけてから、こんがりと焼くなどして工夫することにより、粋な定食のひとつともしたことである。
こうすれば、食器はほとんど使うことなく手間が省けるうえ、手からもうまさが伝わってくる。そして、場所を選ばず、座って食べても、立って食べても、時には歩きながら食べても、さほど行儀悪く思われないという不思議な主食にもなるのである。
ここ数年の外食店の繁盛で、街のいたるところにおむすび屋ができた。「米は本場のササニシキ」とか、「コシヒカリのおむすび」とかいった銘柄米を使い、おむすびの中には削り節や鮭、タラコなどが入っているから、まずかろうはずはない。だが、買って食べてみると、どうも昔食べたおむすびの味とは少し感覚が違う気がする。型はまさしく機械か型器で成形していて、はだがきちんとそろいすぎて、どうみても昔のような、どっしりとした感じがない。昔のおむすびを知っている者にとっては、いささか物足りない気もする。
にぎり飯では両手に水をつけ、粗塩(あらじお)を塗りつけ、ご飯をとりあげてかたく結ぶとき、両手の温かみと湿り気と塩気が、飯の神秘ともいえる芳香と相まって、微妙なうま味が引きだされるからなのだろう。
以下は私の好きな昔のおむすび。
●焼きおにぎり
三角形に握ったおむすびを焼き網で香ばしく焼いて、さっと醤油を塗る。あるいはフライパンに油大さじ一を熱し、これにおにぎりをのせて焼く。全体に焦げめがついたら、醤油大さじ一を鍋肌にそっと入れて、おにぎりにからめる。醤油の代わりに、味噌をからめて網で香ばしく焼くのも、素朴な味が楽しめる。
●菜漬けむすび
青菜の塩漬け(高菜、広島菜など)一枚を広げてこれに三角むすびを握って包む。青菜の代わりにトロロ昆布で包むのもよい。
●赤紫蘇むすび
梅干をしんに入れた三角むすびに、薄く味噌を塗り、この両面に赤紫蘇の葉をつけ、焼き網にのせて軽くこげめがつくまでやくと、昔なつかしの香味を持った素朴な焼きおにぎりができる。
小泉武夫
※【小泉武夫・食百珍】は小泉武夫が古今東西の食について語るスペシャル美味探訪譚です(不定期更新)。