470円のステーキが沖縄の食文化を変えた
戦後沖縄に基地ができて以来、医食同源、薬食同源の生活が沖縄から消えました。代わりに何が始まったかというと、アメリカから缶詰文化が入ってきたのです。その缶詰は、アメリカの兵隊さんの食べものです。アメリカ人は、魚の缶詰はあまり食べません。ほとんどが豚のランチョンミート、それにハムの缶詰、チキンの缶詰、牛肉のコンビーフ缶ばかりです。
さらに昭和二四、二五年頃から沖縄で圧倒的に多くなったのが、アメリカンビーフです。これが沖縄の街にどんどん出てきました。基地を提供している沖縄県民に、日本政府が、 アメリカ並みに安くアメリカンビーフが買えるように買い支えしていたからです。昭和四四年に沖縄に行ったとき、実は私たちは大喜びでした。レストランに行くと草鞋(わらじ)のように大きなステーキが出てきて、ライスかパンとスープが付いて四七〇円しかしません。うれしいから毎食のように注文して、一週間ステーキを食べに行ったようなものでした。それほど安かったのです。
そういう状況が続いたものですから、沖縄県では医食同源、薬食同源とはまたたく間に縁が切れてしまいました。平均寿命が短くなり始めたのは、それからしばらく後です。しかし、我々のような年寄りには影響が出ません。次の世代の人が病気になるのです。それがなぜかはあとでお話しします。とにかく、沖縄県の食生活は激変したのです。
小泉武夫