【小泉武夫・食百珍】漬け物と日本人(1)

カテゴリー:漬物 投稿日:2019.03.13

 縄文時代からあった!?

 日本人の民族食である和食の基本に「一汁一菜」というのがある。「一汁」とはご飯と味噌汁のこと、「菜」はおかずのことで御香香(おこうこう)をさしている。つまり漬け物である。「一汁三菜」ということもあるが、これはご飯と味噌汁と漬け物と他に2つのおかず、という意味で、いずれにしても和食が成立するには漬け物抜きではありえないのである。

 日本人はたいへん古い時代から漬け物を食べていた。すでに縄文時代には、蔬菜(そさい)の皮を塩漬けした簡単なものがあったし、奈良時代の天平年間(七一〇~七九四)の木簡(もっかん)には、ウリの塩漬けの記録が記されている。また、平安時代の『延喜式』第三九巻を見ても、なずな、蕨(わらび)、芹、薊(あざみ)、いたどり、蕗(ふき)など、春菜漬けが十四種。瓜、大根、茄子(なす)、茗荷(みょうが)など、秋菜漬けは三五種(いずれも塩、味噌、醬油、酒粕などに漬け込んでいる)の記録が載っている。

 その後、室町時代をへて江戸期に入ると、漬け物文化はいっきに全国へひろがっていく。そのことは、江戸時代に入ってから世に出された漬け物に関する文書が、おびただしいほど多いことでもわかる。ざっと挙げても『合類日用料理抄』『本朝食鑑』『料理山海郷』『料理網目調味抄』『守貞漫稿』『四季漬物塩嘉言』『四方の硯』『大根料理秘伝抄』『萬聞書秘伝』『雍州府志』など、枚挙にいとまがないのである。

 このように日本が長い歴史にはぐくまれた漬け物伝統国になった理由は、味噌、醬油、酒粕(さけかす)、米糠(こめぬか)、麴など、変化にとんだ「漬け床(どこ)」の材料が豊富だったことによる。加えて、漬け床に合った野菜が、じつに多種にわたって栽培されていたためである。

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