「カビタチ」から「コウジ(麹)」に
縄文人のお酒は果実からできる自然のお酒でしたが、日本酒のような穀物のお酒はいつ頃からつくられたのでしょうか。植物のでんぷんを原料にしたお酒は、すでに縄文時代からつくられていたという説もあるのですが、決定的な証拠は見つかっていません。
穀物のお酒の記述は、『古事記』や『日本書紀』の中に登場します。有名なのは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)にお酒を飲ませて退治する話。また、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』には、こう記されています。
「大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れて黴生えき すなわち酒を醸さしめて 庭酒(にわき)を献(たてまつ)りて宴(うたげ)しき」
神様に捧げた強飯(こわめし)が濡れてカビが生えたので、それで酒を醸し、新酒を神に献上して酒宴を行った−−−−という記述です。強飯は蒸した米のこと。そこにカビが生えることを「カビタチ」と言いました。この呼び方が「カムタチ」「カムチ」「カウジ」と変化していき、現在の「コウジ(麹)」になったのです。
つまり、酒づくりに米麹を用いる日本酒の製造法は、『播磨国風土記』が著された奈良時代には、すでに確立していたことになるのです。中国や朝鮮半島の文化の影響を受ける以前に、日本人が独自に生み出した日本酒という素晴らしい飲料。その日本酒が、日本人の心と深く関わっていることを、私たちは知っておかなければなりません。
神様にお酒を捧げるのはなぜ?
「御神酒(おみき)上がらぬ神はいない」という諺が日本にはあります。お酒を飲まない神様はいない、神様はお酒が大好きなんだという意味です。この諺は、神様が好きなくらいだから人間がお酒を飲みたくなるのは当然のことだ、という酒飲みの方便にも使われますが、ともあれ、神様にお酒を捧げるのは、古くから日本の伝統的な風習になっていました。
では、何のために神様にお酒を捧げるのか。それは、願い事を聞いてもらうためです。今年は豊作になりますように、日照りになりませんように、台風が来ませんように、器量のいいお嫁さんが来ますように、子宝に恵まれますように、病気が治りますように、諍いがありませんように、失せ物が出てきますように……。
昔の人たちは、願い事があるたびに神信心をしてきました。現代でも、お正月の初詣は国民的行事ですし、受験や就職を控えた若い人たちは、ご利益に授かろうと評判の神社に殺到しますが、今のように科学も情報も未発達だった時代は、神様の力こそ人が幸せに暮らすための拠り所でもあったのです。
神様が一番喜ぶもの
しかし、手ぶらでお願いしたのでは、神様だって耳を傾けてはくれないかもしれません。神様が喜ぶような贈り物が必要になります。「では、神様が一番喜ぶものは何だろう?」「そうだ、お酒だ!」ということで、神様にお酒を上げる風習が広まっていったわけです。
そうは言っても、神様に捧げるためだけにお酒をつくっていたわけではありません。神様も喜ぶけれど、やはり人間も飲めば喜びを感じます。しかも、お酒を飲んだときの気分は、平常時には味わうことのできない高揚感や心地よさをともないます。これが、「お酒の力を借りれば神様に近づくことができる」という思想を生み、お酒を神聖なものとする日本の文化につながったとされているのです。
小泉武夫
※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。
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