「あん」が主役の愉快な食べもの
お萩とは、粳米(うるちまい)と糯米(もちごめ)を混ぜて炊いたものを丸めて、餡やきな粉で包んだものである。しかし、正しくは牡丹餅のことで、いつしか季節感として春は「牡丹餅(ぼたもち)」、秋は「萩の餅」と呼んだのだという。江戸の粋な好事家(こうずか)の間では、餅のように搗(つ)かないので「夜船」(着くところを知らず)とか「北窓」(月入らず)と呼んで洒落(しゃれ)たということだ。
そのおはぎが福島県の実家から送られてきた。昔から仏事には仏前に供え、それを親戚縁者などにも配る風習があって、たまたまその行事に行けなかった我が輩に送ってくれたのである。今は宅配便が発達し、福島あたりからだとその日の午前中に送ると、もう同じ日の夕方もしくは夜には着くといった便利な世の中であるからこそ、こういう昔の風習まで送り届けることができるのであろう。
しかし、おはぎというのはよく考えてみると不思議な食べものである。日本でも中国でもあんを使った菓子は、そのほとんどが穀物生地の中に包み込まれているのに、おはぎはそのあんが外に出ているからだ。あんが主役、生地が脇役のためなのだろうか、考えてみるほど愉快だ。
ネッチョリホックラ、懐かしい味
送られてきたおはぎはやはり二色で、一方があん、他方がきな粉である。二つの重箱にそれぞれ五個ずつ入っていた。大きくてとてもずっしりした感じで、あんの方は粒あんであった。甘いものに目がない我が輩は、早速賞味することにした。まず熱い煎茶を入れ、おはぎを銘々皿にのせ、きな粉の方からじっくりと味わったのである。
おはぎが口の中に入ったとたん、きな粉が口の中で舞うような感覚が起こり、瞬間ウフッと噎(むせ)るような感じになった。しかし、きな粉は嚙みはじめるとすぐに我が輩の頬の内側や舌の上の唾液に湿ってピタリとおさまり、今度はそこから大豆の粉特有の素朴なうまみと、砂糖や飯からの甘みが湧き出してきて懐かしい味がした。
次にあんの方を食べた。口に入れて嚙むとネッチョリホックラとしていて、あんから、とても甘い味がサラサラと流れるようにして出てきた。粒あんなので、口の中には小豆の粒の丸い感触もあるが、それも嚙んでいくうちになくなり、サラサラとしたあんの感触に変わってきた。飯の上品なうまみや甘みとあんのサラサラ感、さらには砂糖の強い甘みなどが口の中を交錯している。そこに、追いかけるように熱くてやや渋い煎茶をズズーッと啜る。ああ、御先祖様の味に感謝だ。
小泉武夫