鰻屋の生命はタレにあり
垂汁。「たれ」と読む。煮物や焼き物に用いる、味の濃い調味料のことである。もともとは、味噌や醤油の原型である「未醬(みしょう)」の垂れた汁から始まった言葉で、「味噌タレ」「生タレ」などの語があり、また醤油の元祖ともいうべき「たまり」(大豆のみを原料とした色と味の濃厚な醬油)という名は、「タレの溜(たま)ったもの」の意を持つ。
鰻(うなぎ)の蒲焼きの匂い。あの食欲をそそる匂いは、鰻の脂(あぶら)と身とタレとが、火に焙(あぶ)られて、焦(こ)げたものである。
従って、鰻の開きだけを焼いて出るという簡単な匂いではなく、これにタレをつけて焼く時のみ発生する芳醇さを持った匂いである。日本人好みの焼き物にタレがいかに必須で重要な役割を果たしているかが、発生する匂いからもよくわかる。
古くから、鰻屋の生命はタレにかかっているというほど、大切なものとされ、タレの年輪で、店の暖簾(のれん)の格が決まるとまでいわれた。だからこそ、年期を終えた職人が、新たに暖簾を分けてもらう時には、主人から、わずかのタレを「種(たね)ダレ」として、分けてもらうことが最大の祝儀だ、ともいわれてきた。
醤油と味醂の傑作
ふつう、タレは醤油と味醂を半々に混ぜ合わせたものに、調理時に出た頭や中骨などをさっと焦がして、これに入れ、沸騰直前まで加熱したものを冷やして原液とし、この原液に日本酒や水飴などの秘事物をほどこしてつけ汁とする。
毎日、このつけ汁に具の「つけ焼き」が続くと、濁ったタレには、鰻のうま味が豊富に混じっていくから、決して、捨てることはなく、古くなるほど美味となり、永く保存しながら、減った分だけ補給する。
タレは、鰻の蒲焼きだけではない。焼き鳥のタレにも、秘伝じみたノウハウがあり、照り焼きにも、貝の串焼きにも、みたらし団子にも、タレがなくては始まらない。
醤油と味醂という、日本独特の調味料を実にうまく混ぜ合わせたこの液は、他民族とは比較にならぬほど焼き物好きの日本人を育て上げてしまった。
発酵した塩汁の妙味
鰻の蒲焼きや焼き鳥のタレと同じく、多年にわたりつけ込まれながら使い古されたものが珍重されるものに「くさやのつけ汁」がある。新島や大島といった伊豆七島の近海は、昔からムロアジ、トビウオの好漁場で、そのうえ、干物をつくるのに絶好の干し場(白砂地)があったから、干物の製造は盛んで、江戸時代の末期には、すでに上質の塩干し魚がつくられていた。
一方、この地方は食塩を年貢として幕府に納めていたが、その塩の取り立てが厳しく、そのため、塩干し魚製造のための塩にも制限があった。そこで、窮余の策として、一度、塩漬けして残った塩汁を、何回も繰り返して使っていたところ、そのうち、塩汁が発酵して異様な匂いを持つ汁となった。
しかし、この塩汁には発酵によって生まれた捨てがたいうま味があって、それに匂いも独特だったので、この汁につけた魚を試しに江戸に送ったところ、江戸の食通の間で大変珍重されるようになり、「くさや」が誕生した。匂いがたいそう臭いので、そのまま「くさや」の名がついた。
くさや汁は伝統と誇りの産物
クサヤムロ、ムロアジ、マアジ、サバ、タカベ、トビウオなどの原料魚を腹開きにし、エラや内臓、血合いを除き、樽の中で二、三回水洗いした後、くさや汁に数時間漬け、簀(す)の子に並べて日干しし、これを幾度か繰り返して、べっこう色に仕上げる。
このくさや汁は、くさや製造業者の最も大切とする原料のひとつで、新たにこの汁をつくる時には天然水(雨水や井戸水)に土地の粗(あら)塩(じお)を使い、長年、漬け込まれてきた汁を種汁として加えて発酵させ、特別のノウハウにより、馴れをよくしてから、大切につけていく。己の暖簾に誓って、タレやつけ汁をあくまでもかたくなに保守し続けて、自らの味に伝統と誇りを持って、堂々と業を営んでいる、そんな人に会う時、日本人特有のすがすがしい頑固さをいつも感じるのは筆者だけではあるまい。
小泉武夫