軟水と日本酒の関係
軟水には、食材の成分が溶け込みやすく、食材の持ち味を最大限に引き出してくれるという特徴があります。それが一番わかるのが、日本の伝統的な飲料である日本酒です。
日本酒は、日本の軟水だからこそ造ることができたのです。論より証拠、外国の硬水で日本酒を仕込むと、赤褐色に濁ってしまいます。その原因は、硬水に含まれる微量の鉄分です。仕込み水に鉄分が◯・◯二ppm以上入っていると、麹菌が鉄に反応して、水は錆びたように変色してしまうのです。
◯・◯二ppmというのは、一億分の二という数値です。それがどれだけ微々たる量なのか、わかりやすく言えば、東京—新大阪間の新幹線のレールの長さに対して、ゴルフボール一個分の長さでしかありません。たったそれだけの鉄分が水に含まれているだけで日本酒はつくれなくなるのですから、水がいかに繊細なものであるか、おわかりいただけることと思います。
日本の水と日本茶
日本茶も、日本の水ならではの飲み物です。お茶の葉が持っている旨みや甘みは、軟水だからこそ十分に溶け出し、上品で豊かな味わいになります。試しに、日本のお茶を硬水で淹れてみるとどうなるか? 外国で日本茶を飲んだことのある人なら経験しているかもしれませんが、茶葉に含まれるタンニンと鉄が反応して、お茶本来の風味が損なわれるだけでなく、黒く変色することもあるのです。
日本の伝統的な和食も、水に大きく左右されてきました。くせのないまろやかな軟水は、食材をやわらかく煮るのに適しています。和食に煮物が多いのも、日本人が軟水の特徴を体験的に知っていた証拠といっていいでしょう。
主食である米もそうです。硬水のミネラルウォーターで米を炊くと、粘り気の足りないパサパサとした食感になり、日本人の舌にはあまりおいしいとは感じられません。米をもっちりとおいしく炊きあげるのは、軟水の特徴でもあるのです。
鍋の形にも影響した
小麦を主食とする民族では、パンのように焼いて食べる文化が発達しました。一方、日本では米を煮て(炊いて)食べます。私たちが毎日食べているごはんも、四割は水です。日本人は米食い民族であると同時に、水食いの民族でもあるのです。
台所にある調理器具を見てください。昔から日本人が使ってきた鍋や釜は、底が深い形をしています。これは食材を水と一緒に煮る為の道具だからです。
フライパンのように油を敷いて焼くための調理器具が日本で使われるようになったのは、明治末期から大正にかけてのことです。それ以前は、豆やゴマを煎るための焙烙(ほうろく)などはありましたが、調理用の平たい鍋はありませんでした。ですから、日本人が最初に肉を焼いて食べたときには、鋤(すき)や鍬(くわ)を鉄板代わりにしたものです。今、外国人にも好まれているスキヤキという日本料理の名称は、日本には平たい鍋がなかったという食文化の歴史を物語っているわけです。
小泉武夫
※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。
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