茶葉が偶然発酵した?
愛知県豊橋市でかつてつくられていた国産紅茶(和紅茶)の復活に取り組む父と子がいます。父が半世紀ぶりに甦(よみがえ)せた「豊橋紅茶」を息子はさらに進化させ、昨秋にあった国産紅茶日本一を決める大会で初代グランプリに輝きました。「どうすればもっと美味しいお茶を飲んでもらえるか――」。香りや味をさらに高めようとする取り組みは続いています。
「豊橋紅茶」を復活させたのは、同市小島町の「ごとう製茶」。1927(昭和2)年から緑茶を中心に、お茶の製造・販売を営んでいます。3代目の元則さん(58)は、2007年から本格的に国産紅茶の製造を始めました。品質の高さが評判となり、現在は年間300kgの国産紅茶を製造しています。
元則さんによると、きっかけは30年ほど前の出来事。摘(つ)んだまま畑に置き忘れた茶葉が翌日、発酵して紅茶にするのに適した状態になっており、お茶を淹(い)れてみると、「渋みが少なく、ほのかに甘くておいしかった」。しかし、当時あった茶葉をもむ機械は紅茶向きのものではなかったため、2007年、紅茶向きの機械を導入して製造を始めました。
豊橋紅茶の茶葉
豊橋市周辺では1950年代、アサリとワカメ漁の閑散期に漁師が副業として国産紅茶を生産していました。市内には、紅茶を製造する工場が2つあったそうです。しかし、1971年の紅茶の輸入自由化を控えた60年代に、紅茶の生産は激減しました。今や「豊橋紅茶」を知る人も少なくなってしまったそうです。
紅茶づくりにはまったきっかけ
4代目の潤吏(ひろさと)さん(31)が会社員を辞めて紅茶づくりの道に入ったのは27歳の時。両親が苦労する姿を見てきた潤吏さんは、「業界は厳しい状況で、決して楽ではないことは分かっていました。だけど、無農薬での栽培にも取り組んでお客さんからも評価されてきた。これを父の代でやめてしまうのはもったいないと思った」と話します。
潤吏さんが紅茶づくりに「はまってしまった」のは、観光客向けの紅茶の手もみ体験を手伝ったことだったそうです。「同じ茶葉で大人が強くもみすぎると渋みが出る。子どもがもんだ方がかえって味が良かったりする。条件が変わると味も様々に変わる。おいしくなる最適な条件にするにはどうしたらいいのか、色々と試すようになった」と潤吏さん。
試行錯誤を繰り返す中、茶葉の具合や配合比率、発酵させる温度などの条件が「自分なりにつかめるようになってきた」そうです。3年目となる昨年10月、尾張旭市であった「国産紅茶グランプリ 2015」に、「べにふうき・とよかのブレンド」を出品。紅茶向け品種と緑茶向け品種を巧みにブレンドした作品は、8人の専門審査員、100人の紅茶愛好家の一般審査員の支持を集め、全国から70以上の出品があった中、初代日本一に輝きました。
発酵させた茶葉
「べにふうき・とよかのブレンド」は、潤吏さんが「試してみたかった」紅茶だそうです。ブレンドに使った2種類の茶葉は、それぞれブレンドせずに単独で販売する最高品質のものではありませんでした。しかし、ブレンドさせることで、お互いが足りない部分を補い合い、単独では出せない広がりのある香りと味を引き出すことに成功したそうです。「一般審査員のみなさんに評価していただけたのが何よりもうれしかった」
国産紅茶の初代日本一となった後も、潤吏さんの研究は続いています。「ごとう製茶」が扱う緑茶、紅茶の計13品種をどうブレンドさせるか、どの程度の強さでもむか、発酵させる温度はどうするか。茶園で茶葉を摘んできては、試すことを繰り返す毎日だそうです。
潤吏さんは「その時期に摘んだ茶葉を最高の状態の香りと味で飲んでもらうためにはどうしたらいいのか。紅茶、ウーロン茶、緑茶といったジャンルにはこだわらずに、美味しいお茶をつくっていきたい」と話しています。
※「ごとう製茶」ウェブサイト:http://www.gotou-seicha.com/