世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
桜が咲く時節―嬉しさとともに、今年もまたこの歌の心境になる季節を迎えた。桜の開花を待ってワクワクし、咲いたら花見に行きたい、いや行かねばならぬという焦燥感、散る日を思うとハラハラし、散ってゆく桜の潔さに諸行無常の儚さを感じ…。「ああ、世の中に桜なぞなければ、春の心はどんなにか のどかであっただろうか」である。
古来、お花見には、山から田の神を迎え、ご馳走でおもてなしをして、その年の豊作を願うという意味が込められていた。
「さくら」の「さ」は、「田の神」を表すといわれており、「さくら」とは、田の神が坐する「クラ」=「神座(かみくら)」の意。つまり桜とは、神の依り代(よりしろ)となる花であったとか。なるほど、春に咲く花は多々あれど、「お花見」といえば「桜」を指し、日本人にとって最も神聖な花として愛されてきた由縁である。
「桜言葉」で夜ごと嬉しい家宴(かえん)
そんな桜は、我々日本人の心に響く「桜言葉」にもなっている。
毎年この時季は、夜ごと「桜言葉」に見立てた美味を、我が家の食卓で楽しんでいる。
まずは、
「桜月夜」~桜が咲き誇る月夜
―この言葉にかこつけて、夜ごと一献傾けるのは至福の楽しみである。お酒のチョイスはやはり、酒名に「桜」が入っているものが風情がある。地元・大阪の片野桜 純米大吟醸 花ひとひらなどは、テーブルにあるだけで家宴の気分も上がろうというもの。
「桜魚」~春に獲れる魚のこと
―この時季、大阪人がこよなく愛する桜色に染まった桜鯛のお造りで宴は始まる。
ほかにも、希少な桜えびの釜揚げに、食べ頃を迎えた桜鱒の塩焼きや燻製などもなかなかによろしい。
(つづく)