骨まで愛した日本人(1)【小泉武夫・食べるということ(44)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2018.04.24

 魚の油は長寿食

 日本人にとって、魚は貴重なタンパク源でした。と同時に、いつまでも若々しくいるための長寿食になっていたと、私は考えます。

 魚の油は、植物油に近いのです。たとえば秋刀魚を焼けば、油がいっぱい滴り落ちてきます。この油をコップに貯めて、冷蔵庫に入れておくとぷるぷるに固まりますが、それはゼラチンとコラーゲンの固まり。いわゆる煮こごりで、魚の油が固まったものではありません。魚を絞って、そこからゼラチンとコラーゲンを取り除いたものが魚油になりますが、これは絶対に固まらないのです。

 魚油の成分は、植物性のオリーブ油やゴマ油と同じく、体にやさしいとされる不飽和脂肪酸です。さらに、魚油に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)は、血管の中の老廃物を流して、血管を丈夫にしてくれる働きがあります。最近では、魚油の成分には記憶力や集中力を高める効果があることも報告されていますが、魚食の習慣は体と頭の老化制御が期待できると私は思っています。

 

 魚へ感謝の気持ちを示した日本人

 それだけありがたい食べ物である魚を、日本人は本当に「ありがたがって」食べてきたのです。今はあまり耳にしなくなりましたが、「骨正月」という新年の行事があります。松の内を過ぎると、正月用の食材も残りわずかになります。そこで、捨てずに取っておいた魚の粗(あら)を食卓の主役に据え、鍋の中で軟らかくなるまでじっくり煮てから食べるのです。

 魚の身を取り除いて残った、頭、中骨、内臓、皮など、これらの粗を昔の日本人は決して捨てたりはしませんでした。粗だって、魚の命の一部なのです。日本人がどれだけ工夫をして粗をおいしく料理してきたのか、私は『粗談義』という本にも詳しく書きましたが、日本人は冗談ではなく魚を骨まで愛する民族だったのです。

 そして、魚の命をいただいた後は、魚を成仏させることを忘れませんでした。日本中の漁港がある町を訪れると、魚の供養塔がいたるところに残っています。また、魚に感謝をする祭もあります。有名なのは、秋田県にかほ市の金浦町(このうらまち)で300年以上続く「掛魚(かけよ)まつり」です。毎年2月の立春の日、地元の漁師たちが大きな鱈(たら)を何本も担ぎ、町内を練り歩いてから小高い山の上にある金浦山(このうらやま)神社に奉納します。そして、神様に漁の安全と大漁を祈願したら、大鍋で名物の鱈汁がつくられ、もちろん粗も余すことなく町民みんなに振舞われるのです。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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編集部
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