一膳の箸は道具に非ず【小泉武夫・食べるということ(22)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2017.10.18

箸使いの大切さ

食を通じ心を養う「作法」というのは「行儀」と言い換えてもいいでしょう。この行儀というのは、大人になってから直そうとしても、簡単に改まるものではありません。

箸使いが、そのいい例です。正しい箸の使い方は、子どもの時期にしっかり覚えさせなければなりません。大人になってからでは、なかなか矯正できないものです。

先日、ある時代劇映画を見たのですが、品行方正なお侍さんを演じている役者さんがお膳に向かうシーンを見て、私は唖然としました。箸の持ち方が、明らかにヘンなのです。背筋を伸ばして、姿勢よく正座して食べているのですが、それだけに妙な箸使いが際立つのです。監督がきちんと指導しなかったのか、それとも指導しても直せなかったのかはわかりませんが、あのシーンのおかげで私はすっかり興醒めしてしまいました。

 

箸使いの禁忌

箸使いの作法は、食べ物を大切にする心の基本です。それは、ただ単に箸という道具を上手に操れればいいというものではありません。一膳の箸は、食べ物と人の心とを結ぶ懸け橋です。そして、作法に則った箸使いは、日本の食生活が持つ美意識を具現化するものなのです。

では、どういった作法があるのでしょうか。まず、食べ始めのときです。「いただきます」と挨拶をするときに、箸を持ったまま手を合わせる人がいますが、これは「拝み箸」というマナー違反。箸を手に取るのは、挨拶を済ませた後のことです。その際も、お椀と箸を一度に取ることは「諸おこし」といって、見苦しいものとされています。必ずお椀を先にとり、次に箸をとるのが美しい所作なのです。

料理が1品ずつ順番に運ばれてくる西洋のコース料理と違って、家庭の食事では一汁三菜がいっぺんに食卓に並ぶものです。どれから手をつけようかと、箸をあちこち動かすことを「迷い箸」。一度箸をつけておきながら、食べずに他の菜に箸を移すのは「移り箸」。

1つの菜ばかりにいつまでも箸をつけているのが「箸なまり」。器の中をかきまわして好物を選ぶのは「さぐり箸」。箸を菜に突き刺して食べるのは「刺し箸」。両手に1本ずつ箸を持って菜を切り分けることを「ちぎり箸」。箸についた飯粒や菜を、一方の箸で取り除くのが「にぎりこ箸」で、口でなめ取ることを「ねぶり箸」といいます。

他にも、器を箸で手前に引き寄せる「寄せ箸」。お椀の中を箸でかき回す「箸」。箸先から汁をぽたぽたこぼす「涙箸」。器の縁に箸を渡し置く「渡し箸」。箸を楊枝代わりにする「せせり箸」。食べ終わったときに、箸を逆向きに置く「ちょうぶく箸」……。

思いつくままに述べてみましたが、こういった作法に反する箸使いを総じて”嫌い箸”、もしくは “禁じ箸” “忌み箸” などと呼びます。嫌い箸が最初から規則として定められていたわけではありません。正しい箸使いは、日本人の食習慣と精神文化と美意識の中から自然に出来上がり、時間とともに洗練されながら伝えられてきた所作なのです。

 

箸使いで育む食生活の“心”

私が子どもの頃は、箸使いは「人として最低限できなければならないこと」と教わりました。おかしな箸の持ち方をしている子どもがいれば、「お里が知れる」と、大人たちから容赦なく叱られたものです。

もっと昔にさかのぼれば、会食のときに侍がヘンな箸の持ち方をしていれば、相手に敵意を持っていると思われたものでした。武士は、食事のときに刀を腰から外すのが作法です。お互いに丸腰で膳を前にするのは、交友の意思表示でもあるのですが、箸は持ち方次第で武器にもなります。そこで2本の箸をわしづかみにする「握り箸」などすれば、相手には殺意とさえ受け取られたのです。

箸使いには、その人の育ちや教養が正直に表れるのです。子どものうちに、大人がしっかり教えなければ、日本の食生活の”心”は受け継ぐことはできないでしょう。私たちの時代は、弁当箱と一緒に箸箱が付いていたものですが、今の子どもたちの弁当箱にはフォークがセットになっているものも少なくありません。どれだけナイフとフォークの使い方が上手になったところで、食に対する日本人の心までは教えることができないと私は思っています。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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この記事を書いた人

編集部
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