旬を実感できる日本の風土【小泉武夫・食べるということ(19)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2017.10.03

学術する“鋼鉄の胃袋”

民族の食文化を研究するために、私は世界中を旅してきました。行く先々で、その土地に伝わる民族料理を食べ歩くのが、私の仕事であり、楽しみでもあります。

これまでに、日本では絶対に食べられないような料理も、数え切れないほどお腹の中に納めてきました。誰が最初に呼んだのか、私には“鋼鉄の胃袋”というアダ名も付けられています。たしかに、普通の胃袋を持った日本人なら、一発で食あたりしそうな料理でも、私は旺盛な研究心(好奇心?)のおかげで、それほど躊躇することもなく、もりもり食べまくってきたものです。

例えば、グリーンランドではアザラシの皮の中で海燕を3年かけて発酵させた漬物。ラオスでは巨大ネズミの燻製。ボリビアでは牛の血を吸ってゴルフボールほどに膨れ上がったヒルのボイル……。

私はべつに、わざわざ気味の悪い食べ物ばかりを求めて世界各地を訪れているわけではありません。食は文化なのです。どんな食材であっても、どんな料理であっても、民族の間で受け継がれてきた伝統の食べ物を、「文化が違う」という理由で否定するのは許される行為ではありません。日本人が喜んで食べている味噌や納豆や糠漬けや塩辛だって、異文化の人には「不気味な食べ物」に思われることもあるのですから。

 

旬とシーズンは違う

今回、私が言いたいことは、世界中どこを旅しても、日本人が食に対して感じている“旬”という概念ほど豊かな食文化には、なかなかお目にかかれないということなのです。美味い食べ物、栄養たっぷりの食べ物、珍しい食べ物は世界各地に山ほどありますが、季節の恵みを実感できる食べ物は、そうそうあるものではありません。

「旬」という言葉を英語に訳せば、「シーズン」になります。しかし、シーズンという単語では、旬の持つ意味を十分に表現しきれません。旬とは、単に時期を示すのではなく、対象となるものの価値や滋味までも表す言葉だからです。

日本人が食べ物に感じる旬の定義は、3つあります。それは、「もっとも美味しく」「もっとも栄養があり」「もっとも安く手に入る」ということ。その旬のありがたさを、四季折々の食材に感じることができるのは、日本の食文化ならではの素晴らしいところなのです。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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編集部
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