【歴メシを愉しむ(46)】
春は蛤~ひねもすのたりと味わいたい

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.03.23

日に日に陽光は眩しくなり、暖かさも増して、ようやく春かと思うようになった。こうなってくると貝好きの私、俄然 春の旬貝を食べたい欲求がムクムクと起こってくる。

 

蛤は縁起の良い貝

先のひな祭りで、多くの人が舌鼓を打ったであろう行事食のばら寿司(ちらし寿司)。それに欠かせないのが、こちらも行事食・「蛤の潮汁(うしおじる)」。おそらく一年で最も蛤の需要が多くなる時だろう。

蛤がひな祭りの行事食となったのは、平安時代に貴族の間で始まった「貝合わせ」に由来するとか。この遊戯は、蛤の貝殻の内側に花鳥や人物などの美しい絵を描き、裏返して並べ、同じ絵柄同士を合わせて遊ぶもので、『源氏物語』にも登場する。二枚の貝殻は同一個体のもの以外は決して合わないことから、夫婦和合や貞操の象徴とされ、ひな祭りや結婚式の膳に出されるようになったとか。また、江戸時代の享保年間に、八代将軍・徳川吉宗が、この貝の謂われから、婚礼の祝膳に蛤の吸い物を発案したともされている。

一方、古くから春の行事として、ひな祭りの日には家族や仲間で近くの磯や浜に出て飲食をして遊ぶ「磯遊び」という風習があった。故にひな祭りの蛤の潮汁は、採った貝を神さまに供え、皆で食べて祝った名残りともいわれている。

 

日本最古の料理記録に登場

「蛤」の名前の由来は諸説あるが、「はま(浜)のクリ(石の意)」=「浜栗」という説が有力だそうだ。

古くは縄文時代より日本人に好まれた蛤は、『日本書紀』(720年成立)にも登場している。景行天皇五十三年の条に、磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)が、天皇へ「白蛤(うむぎ/蛤の古名)の膾(なます)」を献上したところ、天皇は大いに賞味され、このきっかけで天皇の料理人になったという。またこれが日本最古の料理の記録とされている。

江戸時代になると、東海道・桑名の焼蛤が名物となり、「その手はくわなの焼蛤」という言葉が流行ったそうで、知名度は抜群だった。

蛤は美味しいだけではなく、16世紀に明で編まれた『本草綱目』には、「肺を潤し、胃を開き、腎を増し、酒を醒ます」とあり、身体にも良く、左党にも嬉しいものだった。

 

蛤が人妻に? 御伽草子にも登場

なんと、蛤は昔話にも登場していた。室町時代から江戸初期にかけてつくられた短編物語を集めた『御伽草子(おとぎぞうし)』は、作者のほとんどが不詳だが、有名な噺では『物ぐさ太郎』『酒呑童子』などがある。この中に、『蛤女房』というおもしろい噺がある。

ある漁師が大きな蛤を獲ったが、ここまで大きくなるのは大変だったろうと海に逃がしてやった。しばらくして、漁師のもとに美しい女がやって来て嫁になった。女はよく働き、料理が上手で、特に汁物が美味であった。だが決して料理を作っている時の姿を見せなかった。男がこっそり覗き見すると、なんと女は、鍋の上にまたがって小便を入れていた。その姿を見られた女は、蛤になって海へと帰って行った。それはかつて男が命を助けた蛤であった…というもの。

初めて読んだ時は、「え~っ、小便を?!」と思ったが、これは蛤自身の美味なる出汁のことであったのだ。昔話によくある異類婚姻譚の一つであるが、笑える興味深い噺である。

 

祭りの後も春の間中、蛤三昧

蛤は春の間中が食べ頃である。ひな祭りの行事食・潮汁も好きだが、やはり一番好きな蛤の食べ方は焼蛤と小鍋立て。毎年この二つの献立を食べる時、ある人物になり切って味わうことに決めている。何度読んだか知れない池波正太郎の名時代小説『剣客商売』の秋山小兵衛になり、焼蛤で冷や酒を、蛤の小鍋でぬる燗を一杯やるのを楽しむのだ。

「春の海ひねもすのたりのたりかな」―春の海の幸・蛤と、うららかな春の間中、ひねもすのたりのたりと過ごしたいものである。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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