【歴メシを愉しむ(40)】
バレンタインデーに想う~遊女の「しょくらあと」憧憬

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.02.14

2月14日はバレンタインデー。長く女性から男性への愛の贈りものという位置付けだったが、ここ数年は、「頑張っている自分へのご褒美」や、仲の良い女友達、女子会仲間へチョコレートをプレゼントすることが主流となってきた。

私も随分と前から、気になるショコラティエのブランドや値の張るチョコレートは自分用に購入するし、人気ブランドのチョコレートは何かとお世話になっている女友達にプレゼントしている(これ、友チョコというらしい)。

 

日本のバレンタインデー始めとは

バレンタインデーのそもそもの起こりは3世紀のローマ。当時の皇帝クラウディウス2世は強兵策のため、兵士の結婚を禁止していた。これに反対したバレンタイン司祭は、皇帝の命に反し、兵士たちを結婚させたため、皇帝の怒りを買い、処刑されたのである。その殉教の日が西暦270年2月14日で、バレンタイン司祭は、「聖バレンタイン」として崇敬を集めるようになり、この日はローマカトリック教会の祭日とされている。この聖バレンタインの日は、司祭の死を悼む宗教的な行事だったが、14世紀頃からは、若者たちが愛の告白をしたり、プロポーズの贈りものをする日になっていったと伝わっている。

では、日本のバレンタインデーはいつ、どのように生まれたのか? それは昭和7年(1932)、みんながよく知っているブランド、モロゾフが始まりだ。

モロゾフの歴史を紐解くと――ロシア革命を逃れて日本に亡命し、神戸トアロードでチョコレートの店を開いていた菓子職人、フィヨドル・ドミトリー・モロゾフに、モロゾフ初代社長が出資をし、昭和6年に生まれたのが神戸モロゾフ製菓だという。

この時代、ギフトチョコレートといえばスイスやイギリスの輸入物だけだったが、初代は、この頃まだ珍しかったファンシーチョコレートやキャンデーを美しいパッケージに詰め合わせて販売したところ、モダンで高級な贈りものとして、人々が憧れる菓子となった。

さらにモロゾフは、新しい文化を根付かせようと、翌年の昭和7年2月のバレンタインデーに、チョコレートを贈る欧米の習慣を日本で初めて紹介した。なんとチョコレートを、愛とロマンに満ちた菓子として広めたのだが、当時としては画期的なことだったであろう。

 

日本で初めてチョコレートを食べたのは?

日本にチョコレートが伝来したのは江戸時代とされている。日本チョコレート・ココア協会によると、チョコレートに関する最も古い記録は1797年で、処は長崎。当時の外国との交易の窓口だった長崎の有名な遊女町だった丸山町・寄合町の『寄合町諸事書上控帳』にその記録はある。寄合町の大和路という遊女が、出島の阿蘭陀人から貰い受けて届け出た品物の中に、「しょくらあと 六つ」という記載があるという。ほぼ同時期の1800年に刊行された『長崎見聞録』にも、「しょくらとを」として紹介されている。

「しょくらとをハ。紅毛人ノ持渡ル腎薬ニテ。形獣角ゴトク。色阿仙薬ニ似タリ。其味ヒハ淡ナリ。」――これによると、その頃のオランダ人はチョコレートを薬としており、その形状は獣の角の形で、味わいは淡かったのだ。続いてチョコレートの食し方が載っていて、飲用されていたのだという。その製法は、熱湯の中に角状のチョコレートを三分削り入れ、卵1個と砂糖少々を加え、茶筅で茶を点てるがごとくかき混ぜるのだというから面白い。

 

長崎の遊女町から外へ出ることさえ叶わなかった一人の遊女が、馴染み客の紅毛人にもらった「しょくらあと」。それは珍品というだけでなく、遠い異国への憧憬を抱かせる宝石のようなものだったのではあるまいか。そんな哀しくも愛らしい、淡く甘苦い浪漫溢れる歴史が込められた味でもあったと思うのだ。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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