伝えるべきは伝統の食文化【小泉武夫・食べるということ(7)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2017.05.30

 ドイツ人の少年と乳酸菌の学名

 日本の食育の遅れというものを、外国の人を通じて私が痛感させられた出来事を二つ、お話しましょう。

 一つ目は、15年ほど前にドイツのニュルンベルクという町にいったときのことです。地元に古くからあるチーズ屋さんを訪れると、たまたま中学生くらいの少年がチーズを買いに来ていたところでした。私の耳には、その少年と店の主人との会話が聞こえてきます。もちろんドイツ語ですから、何を話しているのか私にはさっぱりわからない、と思っていたら、いきなり聞き覚えのあるラテン語が少年の口から飛び出してきたのです。

 「ロイコノストックメセンテロイデス」

 それは、チーズを発酵させる乳酸菌の名前でした。私が普段、大学の発酵学の授業で学生たちに教えている菌の学名です。なんでそんな単語を知っているのか、驚いた私は同行の通訳の人を介して、その少年に尋ねました。

 「菌の名前を君はどこで勉強したの?」

 すると、少年は不思議そうな顔をしながら、こう答えたのです。

 「お父さんから教わったけど、こんなのはみんな知っているよ」

 少年の口からは、他にも「ラクトバチルスカゼイ」「ペニシリウムプランタラム」といった菌の学名がスラスラと出てきます。そして、少年はこう言いました。

 「自分が毎日食べているものなんだから、名前を知っているのは当たり前でしょ」

 私は、日本人の食に対する関心の低さを感じずにはいられませんでした。日本人の伝統的な食事は、麹カビで成り立っています。私たちが毎日のように口にしている味噌も醤油も、麹菌がなければつくれません。にもかかわらず、日本の子供たちは麹菌というものをどれだけわかっているか。大人でさえ、日本の食べ物における麹菌の役割をきちんと説明できる人は少ないのではないでしょうか。

 

 イギリス人留学生と代々伝わる家庭のレシピ

 二つ目は、日本のカビを研究するためにイギリスから来ていた女性の留学生の話です。彼女が研究を終えて帰国することになり、送別会を開いたときのこと。彼女から母国に婚約者がいると聞かされた私は、「では、帰ったら結婚ですね、おめでとう」と、祝福の言葉をかけました。すると、彼女はクビを横に振って、こう答えたのです。

 「お祝いしてもらうのは、まだ2年ぐらい先のことです。私の家には代々伝わる料理のレシピが50種類くらいあるのですが、私はまだ半分もマスターしていません。イギリスに帰ったら母から特訓を受けて、全部覚えてから結婚します」

 家庭の味というものを、親からしっかり受け継いでから結婚するという彼女の言葉を聞いたとき、私は真の食育のあり方を垣間見た気がしました。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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この記事を書いた人

編集部
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