【緑茶の日】カテキンパワー再発見!

カテゴリー:食情報 投稿日:2016.05.01

日本人はいつから緑茶を飲み始めた?

2016年5月2日(毎年、八十八夜の日〈立春から88日目〉の5月2日または1日)は「緑茶の日」です。食後の1杯はもちろん、仕事のお供に、接客の場で、あるいはペットボトル飲料として、私たちは日々緑茶を楽しんでいます。

小泉センセイ(当サイト総合監修)も「カテキンは抗がん効果、老化予防、血圧降下など効能いっぱい」と緑茶のチカラについて述べています。

カテキンとはポリフェノールの1種で、緑茶の茶葉に多く含まれています。緑茶には渋味がありますが、渋味の主成分がカテキンで、昔からタンニンと呼ばれてきたものです。緑茶には、ほかにもリラックス効果があるとされるテアニンや、覚醒作用のあるカフェインなどが含まれています。昔から「お茶が健康によい」とされてきたのには、理由があったのですね。

茶は、奈良〜平安時代に留学僧らによって苗木が持ち帰られ、伝わったとされています。ただし、当時貴重だった茶を飲めたのは貴族階級や僧侶らのみ、しかも薬用としての性格が強いものでした。そのため喫茶の習慣は一般化することなく、平安時代以降一度は廃(すた)れていったといいます。

 

茶は養生の仙薬なり」

日本で喫茶の習慣が復活するきっかけとなった人物が、臨済宗の開祖・栄西(えいさい)です。建久2年(1191年)に中国から帰国した栄西は、日本初の茶に関する書物『喫茶養生記』で、茶の効用と製法を著し、喫茶の普及に大きな役割を果たしました。

室町時代には、茶が庶民にも広まり、茶道具を担いでお茶を売ってまわる「荷(にな)い茶」や寺社の門前や街道沿いでお茶を売る「茶屋」も登場しました。「一服一銭」で提供していたようです。ただし、これらは、粉状のお茶を使用した今でいうところの「抹茶」。室町時代の終わりから、村田珠光(じゅこう)や千利休らによって「茶の湯」文化が花開きました。

 

江戸時代に広まった煎茶

現在私たちが日常的に楽しんでいるお茶=煎茶飲喫法(茶葉をお湯に浸し、浸出液のみ飲む方法)は、もう少し後、江戸時代になってからでした。これに影響したと思われるのが、日本独自の緑茶の誕生です。

中国にも煎茶を飲む習慣はあり、日本の煎茶への影響が指摘されることもあります。ただ、中国の緑茶は「釜炒(かまい)り法」で製造されますが、日本の煎茶や玉露などは「蒸(む)し製法」(注:釜炒り法の日本茶もある)。

京都の永谷宗円(ながたにそうえん)という人物が、天文3年(1534年)に、茶を蒸して揉(も)み、乾燥してこねるという製法を発明しました。これにより茶の品質が大きく改善され、もともと質のよい水に恵まれた日本の風土もあり、「上品な味と香りをもった日本独自の緑茶が誕生し、わが国の茶は庶民の茶としてひろく普及するにいたった」(小泉センセイ)といいます。江戸時代には各地での茶の生産量も大きく増加しました。

緑茶を一口啜(すす)ってリラックスと気分転換、これぞ日本人の「美味しい健康的生活」なのでしょう。先人の知恵と風土の恵みのおかげであると感謝しつつ、さあ、「緑茶の日」に思いを込めて美味しいお茶を淹(い)れてみませんか?

 

参考:「江戸の健康食」(小泉武夫、河出書房新社)

 

  •                    

\  この記事をSNSでシェアしよう!  /

この記事が気に入ったら
「いいね!」しよう!
小泉武夫 食マガジンの最新情報を毎日お届け

この記事を書いた人

編集部
「丸ごと小泉武夫 食 マガジン」は「食」に特化した情報サイトです。 発酵食を中心とした情報を発信していきます。

あわせて読みたい