魚の養殖の先駆者は農民【小泉武夫・食べるということ(43)】

カテゴリー:食情報
投稿日:2018.04.09

内陸でも大活躍する水産物

 日本人は究極のベジタリアンだったと同時に、実は世界一の魚食民族でもありました。国土はぐるりと海に囲まれているのですから、魚を食べない地域はなかったと言ってもいいくらいです。

 海から離れた内陸の地方では、魚は食べられなかったと思う人もいるかもしれません。たしかに、山里で海の魚をとることはできません。口にできる海の魚といったら、塩漬けや棒鱈のような保存食でした。しかし、信州や甲府や岐阜など、内陸の山村の食文化を詳しく調べてみると、やはり魚は大量に食べられていたのです。

 日本は水に恵まれた国です。海のない土地でも、水源はたくさんあります。豊かな清流には、岩魚(いわな)、山女(やまめ)、甘子(あまご)、鮎(あゆ)、鮒(ふな)、鮭(さけ)、鱒(ます)、タナゴ、ウグイなど、とり尽くせないほどの淡水魚が泳いでいました。それを黙って見ていたはずがないのです。

 

農村と密着した鯉の生涯

 とくに注目したいのは、鯉(こい)です。米沢藩(山形県)の名君と呼ばれた上杉鷹山(うえすぎようざん)は、わざわざ相馬藩(福島県)から鯉の稚魚を取り寄せ、養殖していました。

 「米の沢」と書くくらいですから、米沢は稲作が盛んな土地です。鯉は、領内に広がる水田に放されるのです。すると、鯉は田んぼの雑草を食べてくれる。雑草を食べた鯉のうんこは稲の肥料になる。そして、丸々と育った鯉は、出荷して現金収入を得たり、農民たちの食料になったりしたのです。

 現在でも、米沢市内には有名な鯉料理店が何軒もありますが、米沢藩の農民たちは米をつくりながら鯉も育て、その鯉を郷土の特産品にまで発展させたというわけです。

 米沢藩の例に限らず、日本の農村地域には池や沼を利用して鯉や鰻や鯰(まなず)を飼っていたという事例がたくさんあります。魚をとるだけでなく、人の力で育てるという発想は、むしろ海のない地域から生まれた知恵といってもいいのかもしれません。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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