酒は礼に始まり、心で了(おわ)る【小泉武夫・食べるということ(27)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2017.12.01

お酒が飲めない人の作法

 お酒はどれだけいいものか。それは室町時代の狂言『餅酒』や、江戸時代の随筆などを編纂した『百家節林(ひゃっかせつりん)』の中にも“十徳”として具体的に記されています。生きて行く上で酒はサケられない−−−−と言ったら、つまらない洒落になりますが、日本人の生活文化にとって、お酒は避けて通れないという事実は、おわかりいただけたと思います。しかしながら、お酒が好きな人ばかりではありません。下戸の人だっているし、百薬の長も飲み過ぎれば毒になるということは、昔の人もちゃんとわかっていました。

 日本人の素晴らしいところは、お酒との正しいつき合い方が、いろいろな方面で考えられてきたことです。明治時代中期まで、日本には「廻り盃」という集団酒道が行われていました。出席者が主人(あるじ)と客に分かれ、唄や舞を鑑賞しながら盃でお酒を回し飲みするというものです。これはただの酒盛りではなく、お酒を通して教養を高め、礼儀作法を習得する機会でした。

 この廻り盃に、下戸の人が呼ばれたらどうなるでしょう?無理にお酒を飲むことはないのです。飲めない人は、飲めないときの正しい断り方を、その酒道の場で学ぶのです。例えば盃が回ってきたら、下戸はその盃を持った手の親指を盃の内側に折り曲げて少し入れるようにしぐさをすれば、注ぎ手は盃の前で銚子を傾けはしますが、酒は盃に注ぎません。すると下戸の客は、空の盃を口元に持って行き、あたかも飲んだフリをしてから、次の客に盃を回すのです。

 よく時代劇などで、お酒を断ったりすると、「ふむ、その方はみどもの盃が受けられぬと申すか」などと言って侍が凄むシーンが出てきますが、あれはちょっと考えられないことです。江戸時代の人たちは、お酒のマナーをしっかり心得ていたのです。もちろん、今の若い人たちのように、「イッキ、イッキ!」と飲酒をあおるような不作法もなかった、日本人はお酒に畏敬の念を持ち、心で接していたのです。

 

江戸時代のお酒に飲まれない知恵

 お酒に飲まれないための知恵も、昔の日本人は心得ていました。祝儀の席に呼ばれたときなど、お酒に強くない武士は袂に懐中汁粉を忍ばせて出掛けました。懐中汁粉は、小さな最中を思い浮かべればいいでしょう。袂から取り出し、湯飲み茶碗に入れ、お湯を注げば即席のお汁粉の出来上がり。これを、酒宴の前に飲んでおくと、血糖値が上がり、肝機能が高まるのです。

 今でも飲み過ぎて病院に行けば、ブドウ糖や果糖の注射を打たれますが、江戸の人たちは甘味を体に入れておけば悪酔いが防げるということを、体験的に知っていたわけです。

 さらに、二日酔いのときは、体内に残っているアルコールを抜くための技がありました。それが長唄を唄わせることです。長唄の中には深呼吸をして、体内に酸素をいっぱい取り込んで、少しずつ息を吐きながら唄う曲目がありますが、それを正座してゆっくりと唄い、これを繰り返していると、体の中にたまっていたアルコールとか宿酔い成分を排出できるというわけです。

 前の晩に飲み過ぎた江戸の武士は、そのような長唄を吟じ、体から酒臭さを追い出してから登城したのです。二日酔い対策まで万全だった江戸時代の人たち。「酒は礼に始まり、礼に終わる」という諺もありますが、「酒は礼に始まり、心で了る」というのが、日本人が培ってきた本来の飲酒観であると、私は考えます。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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この記事を書いた人

編集部
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